2017年3月 西日本新聞(回顧録)

旧日本兵のご遺族捜しを担当していると
たまに同じ目的の活動をされている方と遭遇します。
今日は台湾の方が、日本人の恩師を捜していたときの話を綴ります。

2017年3月、台湾在住の李さん(当時95歳)が小学校恩師の石垣先生を
捜しており、王珠恵さんがFBで情報提供を求めていました。
しかし大きな手掛かりとなるものはなく情報薄状態が続いていた。

2017年8月に日台交流協会の友人から西日本新聞の中川支局長へと
繋がり、翌月9月1日に西日本新聞に掲載される。

引き揚げた恩師どこに、台北の95歳が「石垣先生」を捜す
「もう一度お礼を」

https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/368593/

私はこのWeb記事を読み、初めて日本人男性を捜していることを知る。

そして、16日後、思いも寄らぬ悲劇がおこった。
9月17日、この新聞記事を書いた中川支局長が台北市中山区で
タクシーに跳ねられてしまい他界されました。

これが中川支局長が事故にあった記事である。
台湾で日本人記者がタクシーにはねられ死亡、論議に―台湾メディア
https://www.recordchina.co.jp/b191197-s0-c30-d0045.html

48歳という若さで・・・・・・

 

この記事を読んだ私はこのままではご高齢の李さんも記事にしてくれた
中川支局長も報われないと思い、活動も一時中断し石垣先生捜しに専念した。
しかし個人情報を捜すというのは困難で、時ばかりが過ぎていった。

そこで、石垣という苗字で最初に思い浮かぶのが沖縄・石垣島。
FBの「石垣島なんでも相談室」にお伺いもしてみた。
もう2018年4月半ばだ。

台湾で小学校の先生だったら、情報を抽出するには台湾にある
サイト臺灣總督府公文類纂查詢系統 *の職員録にあるのでは?
との情報を得ていってみたところ、大正〜終戦までの職員録があった。

恩師である石垣朝清先生の名前を検索したら・・・・・・

1922年〜1944年まで台湾にいたことが判明した。
1922年〜1939年までは学校の教師をし、1940〜1944年まで
山林課に勤務されていた。

ここであることに気付く。

1923年の本籍は沖縄

1924年には本籍が長崎となっている。

そして台湾在住最後の記録となる1944年には
本籍欄は空欄と何も書かれていなかった。

これはどういう意味なのかと思いつつも

この情報を求めている台湾女性の王さんへと提供した。
そして、2ケ月が経過し西日本新聞のWebsiteと
新聞をみたとき全身鳥肌が立った。

李さんは年齢がひとつ増え96歳となり
日本へ来日され石垣先生のお墓参りが出来たのである。

ある琉球人の生涯 (上)2018年6月12日
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/425477/ 


ある琉球人の生涯(中) 2018年6月13日
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/425476/

ある琉球人の生涯(下) 2018年6月14日

ある琉球人の生涯(下) 日本の敗戦 石垣島へ引き揚げることなく
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/425475/

ここまで大きく取り上げられたのは、西日本新聞から中川支局長への
想いが込められている記事だと、読んでて感じた。

中川支局長もきっと天国で喜んでくれているだろう。

Web記事も出来れば永遠に見れるようにして頂ければとも思う。