2018年 returned


葉書3枚

2018年10月12日にハガキ3枚が壱岐島市役所にて
市長さんからご親族である久原さんへ渡されました。


日章旗

アメリカ Kyle Parker様より。
サイパン、硫黄島、ロイ=ナムル島に従軍していた祖父が持ち帰ったもの。

2011年3月、厚生労働省より持ち主のご子息(山梨県)が
特定されたとの連絡あり。厚生労働省を通じて返還の予定。
いきさつは下記のKyle Parker さんのブログにも記載。 

’The Ministry of Labor and Welfare identified the family in March, 2011. The flag will be returned to the son of the soldier through the Ministry.”

Mr. Kyle Parker’s Blog  Kyle Parkerさんのブログ
http://awakeningthepast-wwii.blogspot.com/

 


 

日章旗

 

西松良親氏は無事復員され、1998年に死去。
この日章旗は2011年5月御子息の愛知県在住 西松雅彦氏のもとに返還。
「手元に届き感激しております」とのご連絡をいただきました。

Returned to the family in Aichi-ken in May, 2011.
The soldier survived the war but passed away in 1998.


日章旗

アメリカ・ニューメキシコ州在住のBerry Ives様からのご依頼による。

陸軍軍人であった父上(故人)が遺した物で
フィリピンの洞穴内で戦死した日本兵が持っていたものと推定される。

「宮地町二組 町内会」と書かれているが、宮地町という地名は
全国に多いので、特定は難しい。

寄せ書きには、白川徳次、山領濱偟、平岩弥一、大坪日出雄、
太田元次、金子岩冶、青柳実郎、宮副冶兵衛などの氏名がある。

2010年3月13日に長崎県の弟の本多大作氏に厚労省を通して返還。
大作氏の礼状がIvesに送られました。
本多弘司さんは1945年1月フィリピンのルソン島の洞窟内で戦死。
Berry Ives の父親が持ち帰ったもの。(2010.5加治安彦 記)


写真


整理番号No00021 杉山彦吉様
※姪の順子さんへ返還※
左から姉岩江さん
姪  純子さん
本人 彦吉さん
母  はつよさんと判明

この葉書には続きがありました。
岐阜新聞に載った左上の写真の姪の広子さんの娘さんが
岐阜新聞に勤めており、この記事を執筆されました。
大叔父に当たる彦吉さん、母親の広子さんの記事を書くとは
思いもしなかったのではないでしょうか。
小森孝美記者様、おめでとうございます。

 


写真

整理番号No.00015 齋藤吉則
満州㐧八九七部隊
山形県東村山郡長崎町大字長崎二二一〇番地
(現:山形県東村山郡中山町大字長崎)

11月13日齋藤吉則さんの写真が
甥(弟の息子さん)の稔彦さんに返還されました。

また、中山町 政策推進課 地域情報グループの皆さん有難うございました。

 


葉書

整理番号No00019 山口茂男
誉二三五一部隊中山部隊石田隊

2018年11月7日新五島町の山口秀市さん(弟)に
ハガキが返還されました

宛名は竹内芳雄さんで、以前茂男さんが勤めていた
漁業会社の社長(先輩?)らしいと秀市さんが仰っていました。

宛先は現: 長崎県南松浦郡新上五島町岩瀬浦郷浜串
竹内芳雄様

久々のお便りハ其の後変りありませんか
お伺い申し上げます。
茂男はお元気にて南国の地に頑張っています。
試質不足、人員の関係上、漁業方面の
営業に○〇しているかどうかと思ひますが
食糧、○○の重大性にかんがみ、ふみとどまつて
故郷の産業発展に努力されている事と思います。


葉書


2018年10月1日
横尾幾蔵氏へのハガキ・写真の引渡し時写真
(左:義蔵氏、右:中村 寒河江市遺族会会長)


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