2020年5月12日 中日新聞

https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20200512/CK2020051202000041.html

旧日本兵の写真帳返したい
米慈善団体の女性が情報呼び掛け

太平洋戦争中に米軍人が硫黄島から持ち帰った遺留品から三重県出身とみられる兵士の写真帳が見つかった。遺留品の返還に取り組む米国のボランティア団体「キセキ遺留品返還プロジェクト」の会員で、写真帳を入手したジャガード千津子さん(68)=米イリノイ州=は「関係者に何とか届けたい」と情報提供を呼び掛けている。

精悍(せいかん)な顔立ちの男性二人が写った写真は、それぞれ「俺」
「下村重治郎」と書かれている。「昭和二年度馬公警備紀念三重縣人會一同」
と記された集合写真には、「俺」らしき男性も含まれる。

 二見興玉神社(伊勢市)の夫婦岩を背景に撮影した集合写真や、
「二見勝四郎」と署名された軍服姿の男性、「二見勝之」「小畠静登」
とそれぞれ書かれた乳児と男性の写真も残されている。

写真帳は米軍人(故人)の孫で、マサチューセッツ州に住む女性が
所有していた。縦一三・五センチ、横二〇・六センチの布張りの表紙で
厚さは二・五センチほど。写真六十枚ほどが収められている。
インターネット上のオークションで出品され、ジャガードさんが競り落とした。

ジャガードさんは「写真帳を見ていると、本人にとってとても大切なものだったことが分かる。戦死した日本兵のことを覚えている人が少なくなっているが、日本人の魂は日本に返してあげたい」と話している。

2019年10月28日 中日新聞

 

兵帽をかぶった青年が写るモノクロの写真。
精悍(せいかん)な顔立ちのこの男性は、太平洋戦争で二十三歳で戦死した
愛知県春日井市出身の右高(みぎたか)進さんだ。
米国へ運ばれた日本兵の遺品を故郷へ送り届ける活動を続けている
ボランティア団体「キセキ遺留品返還プロジェクト」から
写真の裏に書かれた名前だけを頼りに
おいの右高博基さん(74)=名古屋市東区=と
めいの志村満紀子さん(72)=同市西区=の元に写真データが届けられた。
目にした二人は「伯父に間違いない」と顔をほころばせた。

https://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=690485&comment_sub_id=0&category_id=113&from=news&category_list=113

2019年7月26日 朝日新聞海外版

 

http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201907240001.html

http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201907240001.htmlWhen Yasuhiko Kaji heard about someone seeking assistance in returning the photo album of a Japanese soldier found on Saipan to its original owner,
he “enlisted” in a repatriation effort of his own.

As many belongings of Imperial Japanese Army soldiers are sold at flea markets in the United States featuring military-related items, Kaji began purchasing a Hinomaru flag filled with farewell comments, a pocket notebook, picture and other keepsakes.

When the mementos bear the owners’ addresses or the names of their hometowns, he contacted their families to hand the items over. Some people who learned about his activities have even made donations over the years.

“If souls exist in this world, I would like them to return to their families along with their keepsakes,” said Kaji.

Kaji, a doctor from Mie Prefecture who lives in the United States, has been returning the personal possessions of Japanese soldiers killed in World War II to their bereaved families for half a century.

Kaji, 85, who resides in Ohio, began 50 years ago seeking the relatives of Japanese service members who died in the bloodiest battlefields in the war, so that their Hinomaru rising sun flag, letter, photo and other articles taken by U.S. military personnel can be repatriated.

Having a grandfather and father working as military doctors, Kaji enrolled in Nagoya University’s school of medicine, studied at a graduate school and then started working as a researcher at a U.S. college.

He later opened an obstetric clinic in the United States.

Around 1970, a woman who later became Kaji’s wife was asked by an American friend to help repatriate the photo album found on Saipan. That started Kaji on his long path to returning the wartime souvenirs brought back to the United States.

Kiyoshi Nishiha, a close high school friend of Kaji, opened a dedicated website around 2004 to assist in his efforts. More than 20 items collected by Kaji and shown on the site have been returned to their bereaved families.

After Nishiha died in 2010, his eldest daughter joined Kaji’s project according to the wishes of her late father. A friend of Kaji, who is a retired U.S. service member, also started assisting in the effort.

One of those new members, Chizuko Jaggard, now 67, who hails from Kariya, Aichi Prefecture, moved to Illinois after graduating from a university. She found a Hinomaru flag while sorting through the possessions five years ago of her late father-in-law, a former U.S. Marine.

Hoping to repatriate the flag, Jaggard contacted Kaji’s group, called Project Returned Memories Kiseki, through his site to join the activity. The group currently comprises Kaji and two others living in the United States and four people in Japan.

In November 2018, Jaggard visited Emi Nomura, 54, who lives in Yokohama, and her father, who resides in the Goto island chain off Nagasaki Prefecture. She had with her an old letter penned by Nomura’s uncle, Shigeo Yamaguchi, which is addressed to his supervisor at the company where he worked before going to the front.

Yamaguchi was killed in fighting in the Marianas in the western Pacific around July 1944, according to Nomura.

Reading the letter, Nomura felt that “my young uncle must have had many things he wanted to do after returning from the war.”

The returned missive was one of 11 letters found among the personal possessions of a deceased U.S. Marine in May last year.

Jaggard, who has also contributed articles to newspapers calling for the repatriation of mementos of the war dead, has been searching antique shops and estate sales for keepsakes of Japanese soldiers for five years. She is concerned about the decreasing number of bereaved family members over time.

She also said some younger bereaved relatives are not interested in their ancestors and are unwilling to accept their families’ keepsakes.

“I want to return mementos in a way that both recipients and senders will feel happy about,” Jaggard said.

For more details on the activity, contact Project Returned Memories Kiseki at (senso_ihin@outlook.jp)

2019年7月9日朝日新聞(夕刊)

私達の50年の返還活動の歴史が書かれています。

太平洋戦争中の激戦地に残された日本兵の遺品。
日章旗や手紙、写真といったものが米軍兵士によって持ち帰られたが、
50年ほど前、遺品を持ち主の遺族らに返す取り組みが米国で始まった。
始めたのは米国に住む三重県出身の医師だ。
半世紀近い地道な活動はいま、新たなメンバーに引き継がれている。

昨年11月、横浜ログイン前の続き市の野村恵美さん(54)は、長崎・五島列島で暮らす
父親と一緒に1枚のはがきを受け取った。

はがきは、伯父の山口茂男さん(故人)が出征前に働いていた会社の上司に
宛てたもの。野村さんによると、山口さんは西太平洋のマリアナ諸島で
1944年7月ごろに戦死したという。はがきを目にして「若かった伯父は戦争から帰ったら、やりたいことがたくさんあったんだろう」と感じた。

野村さんを訪ねてはがきを届けたのは米イリノイ州に住むジャガード千津子さん5年前から日本兵の遺品返還に携わっている。はがきは昨年5月、元米海兵隊員の遺品を調べている中から出てきた11枚のうちの1枚だった。

ジャガードさんが加わる遺品返還活動は、米オハイオ州に住む加治安彦さん
が半世紀近くかけて築き上げてきたものだ。

加治さんは三重県出身で、祖父や父は軍医。
加治さんは名古屋大医学部に進み、大学院を経て米国の大学で研究員になった。その後、米国で産婦人科医院を開業した。

70年ごろ、後に加治さんの妻となる女性が、米国の知人から相談を受けた。
サイパン島から持ち帰られた旧日本兵の写真帳を持ち主に返したいという
話だった。

その出来事をきっかけに、軍装品のフリーマーケットで旧日本兵の遺品が多く
売り出されていることを、加治さんは知った。
寄せ書きされた日章旗や手帳、写真などを買い取り始めた。

住所や出身地がわかるものは、直接家族に連絡して返した。
加治さんの活動を知って寄付してくれる人もいた。
「もしも魂というものがあるならば、もう一度遺品と一緒に、
家族のもとに戻ってほしい」という気持ちだった。

2004年ごろ、高校時代の親友だった西羽潔さん(故人)が専用の
ホームページを制作。
加治さんが収集した遺品を掲載し、20点以上を遺族に返すことが
できたという。しかし、西羽さんは10年に亡くなった。

今度は、西羽さんの長女が父の遺志を継ぐように加わったほか、
加治さんの知人である米国の退役軍人らも参加してきた。
ジャガードさんも後に加わった一人だ。

愛知県刈谷市出身で、大学卒業後に米国に渡ったジャガードさん。
米海兵隊員の義父が亡くなり、5年前に遺品整理をしていて
見つけた日章旗を持ち主に返そうと思ったのが、
活動に加わったきっかけだった。
加治さんらのホームページを通じて、連絡をとった。

今、活動のメンバーは加治さんを含め米国に3人、日本に4人。ジャガードさん
は新聞に遺品返還を呼びかける記事を寄稿したり、古物商や遺産を売却処分する
エステートセール」などを回ったりしている。

ジャガードさんは「時間とともに遺族が少なくなっていく」と憂える。
世代によっては関心がなく、受け取りをためらう遺族もいるという。
「遺品を受け取る側と送る側が、ともに喜べる返還をしていきたい」

(小川崇)

 

2019年2月9日 沖縄タイムス(WEB版)

「昭和十一年一月 宇栄原キミヨ」さんの写真
持ち主探してます 元米兵の遺品から見つかる」

2019年2月9日 05:00

 太平洋戦争に従軍し、昨年1月に亡くなった元海兵隊員の遺品から、沖縄県出身者と思われる家族の写真など6枚見つかった。写真館で撮られたと思われる家族写真や小学校の集合写真などで、写っている少女の3歳~小学生ごろまでの成長が確認できる。米兵が戦地から持ち帰った遺留品を遺族に返す活動をしている米国のボランティア団体「キセキ遺留品返還プロジェクト」は、「写真に写っている少女は存命の可能性もある。家族に返したい」と情報提供を呼び掛けている。(社会部・吉川毅)

沖縄タイムス
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/383136

Yahoo Japan
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00383136-okinawat-oki

沖縄タイムスのTwitter

2019年1月4日 山形新聞

私達の返還活動が山形新聞の記事に載りました。
この記事を読まれ、関係者の情報が届けば嬉しいです。

山形新聞のWebsiteには去年の11月21日にスタッフが訪問された際
「時越え届く、戦地の無念 旧日本兵の遺留品返還活動、米国在住の女性来県」と記事も載せても頂きました。
今でもネット上で見ることが出来ますのでリンクを貼っておきます。

山形新聞 Website
http://yamagata-np.jp/news/201811/21/kj_2018112100425.php

 

2018年11月17日 北海道新聞

北海道新聞に私達の活動及び
アルバムのご遺族情報提供を求む記事が載りました。

Web版 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249066?rct=n_war

旧日本兵の写真帳
家族に返したい 米女性が旭川で情報収集

【旭川】太平洋戦争に出征した元米海兵隊員の遺品の中に、サイパン島周辺から持ち帰った旧日本軍兵士の写真帳が見つかった。写真の撮影場所などから、旭川で編成された旧陸軍歩兵第89連隊所属の兵士の可能性が高いとして、遺留品の返還活動に取り組むジャガード千津子さん(66)=米イリノイ州在住=が16日、旭川市を訪れ、情報収集を行った。

 写真帳は元米海兵隊員のアール・パルマーさん(1月に93歳で死去)が米フロリダ州の自宅に保管していた。長女が遺品の中から発見し、ジャガードさんが所属する市民団体に調査を依頼した。

 集合写真のほか、青森県弘前市や旧満州(現中国東北地方)で戦友と撮った写真など約80枚が収められている。ジャガードさんは8月、旭川市内の協力者を通じ、毎年6月に第89連隊の慰霊祭を行っている北海道護国神社に写真のコピーを送り、協力を求めていた。

 ジャガードさんは16日、護国神社を訪問し、鎌田友樹権禰宜(ごんねぎ)から「家族のもとに返せるよう協力する」との回答を得た。鎌田さんによると、写真に書き込まれた名字を基に、第89連隊の名簿などで該当する人を見つけて関係者に連絡を取っているが、現時点で手掛かりはつかめていない。

 ジャガードさんは、パルマーさんが保管していた遺留品約110点を携えて10月29日に来日。岐阜、長崎、山形県で遺留品を返還するなどしてきた。「日本人の物は日本に返したい」と、情報提供を呼び掛けている。問い合わせ先は電子メールctjagg@gmail.com。(川上舞)

2018年8月14日 東奥日報

私達に託されたアルバムには100枚近くの写真があり
青森県弘前市の公園から始まり大連・吉林省長春市
満州国遼陽市の建造物がある。

足立・小生・小丹枝と書かれいる。
この中心人物のアルバムではないだろうか。
誰なのか知りたい。