私達の返還活動が山形新聞の記事に載りました。
この記事を読まれ、関係者の情報が届けば嬉しいです。
山形新聞のWebsiteには去年の11月21日にスタッフが訪問された際
「時越え届く、戦地の無念 旧日本兵の遺留品返還活動、米国在住の女性来県」と記事も載せても頂きました。
今でもネット上で見ることが出来ますのでリンクを貼っておきます。
山形新聞 Website
http://yamagata-np.jp/news/201811/21/kj_2018112100425.php
私達の返還活動が山形新聞の記事に載りました。
この記事を読まれ、関係者の情報が届けば嬉しいです。
山形新聞のWebsiteには去年の11月21日にスタッフが訪問された際
「時越え届く、戦地の無念 旧日本兵の遺留品返還活動、米国在住の女性来県」と記事も載せても頂きました。
今でもネット上で見ることが出来ますのでリンクを貼っておきます。
山形新聞 Website
http://yamagata-np.jp/news/201811/21/kj_2018112100425.php
北海道新聞に私達の活動及び
アルバムのご遺族情報提供を求む記事が載りました。
Web版 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249066?rct=n_war
【旭川】太平洋戦争に出征した元米海兵隊員の遺品の中に、サイパン島周辺から持ち帰った旧日本軍兵士の写真帳が見つかった。写真の撮影場所などから、旭川で編成された旧陸軍歩兵第89連隊所属の兵士の可能性が高いとして、遺留品の返還活動に取り組むジャガード千津子さん(66)=米イリノイ州在住=が16日、旭川市を訪れ、情報収集を行った。
写真帳は元米海兵隊員のアール・パルマーさん(1月に93歳で死去)が米フロリダ州の自宅に保管していた。長女が遺品の中から発見し、ジャガードさんが所属する市民団体に調査を依頼した。
集合写真のほか、青森県弘前市や旧満州(現中国東北地方)で戦友と撮った写真など約80枚が収められている。ジャガードさんは8月、旭川市内の協力者を通じ、毎年6月に第89連隊の慰霊祭を行っている北海道護国神社に写真のコピーを送り、協力を求めていた。
ジャガードさんは16日、護国神社を訪問し、鎌田友樹権禰宜(ごんねぎ)から「家族のもとに返せるよう協力する」との回答を得た。鎌田さんによると、写真に書き込まれた名字を基に、第89連隊の名簿などで該当する人を見つけて関係者に連絡を取っているが、現時点で手掛かりはつかめていない。
ジャガードさんは、パルマーさんが保管していた遺留品約110点を携えて10月29日に来日。岐阜、長崎、山形県で遺留品を返還するなどしてきた。「日本人の物は日本に返したい」と、情報提供を呼び掛けている。問い合わせ先は電子メールctjagg@gmail.com。(川上舞)
四街道市で21日、核兵器廃絶平和都市宣言25周年を記念して
「平和と文化のつどい」(同実行委員会主催)が開かれた。
会場には1000人以上の市民が訪れ
平和を訴える講演などに耳を傾けた。
講演では、小中学生のころに同市に疎開した経験のある俳優
市原悦子さんが「戦時中は千葉の土に支えられて生き延びた。
四街道市で触れた優しさが身にしみた」と
当時を振り返った。
その後、「野坂昭如戦争童話集」を朗読した。
会場には、フィリピンで24歳で戦死した同市出身の
大熊武雄さんの日章旗が展示された。
日章旗は元米海軍の男性がフィリピンから持ち帰って保管していたが、
持ち主の家族に返すため、「旧日本軍人の遺留品」というWebsiteを作成し
返還活動を続けている兵庫県西宮市の西羽潔さん(75)に依頼。
日章旗に住所が書いてあったことなどから今年11月、63年ぶりに
ご遺族の手に渡った。
返還の仲介をした大熊文夫市議(71)は「思いをこめた署名を見ると、
あらためて戦争のむごさを感じる」と話した。
楠岡巌実行委員長(78)は「世界で一人として戦争を望んでいる人はいない。
これからも平和を訴える活動を続けたい」と語った。【斎藤有香】
毎日新聞 2008年12月22日 地方版